■某大学芦原空手同好会時代のフォトアルバム

 
 当サイトの管理人の私が芦原空手を始めたのは、京都にある某大学に入学した大学1年生の春でした。大学に入学するまで、他流派の道場に通っていた私は、大学でもその他流派の同好会に入部するつもりでいましたが、入学してみると私が入学する半年程前に活動休止していることがわかりました。その流派の支部道場にも見学に行きましたが、そこの月謝が下宿生の私にとっては、あまりに高すぎるため転籍できず、空手からしばらく離れてしまうことになってしまいました。
 悶々とした日々を2ヶ月程すごしたある日、何気なくキャンパス内の掲示板にふと目をやると、芦原空手同好会の部員募集のポスターが貼ってあるのを発見。「これしかない!」と思い、即座に連絡をとって入部させていただきました。
 それから4年間、この芦原空手同好会で、様々な経験をさせていただき、まさに私にとっての青春の場であったと思います。しかし、この大学の芦原空手同好会は、私が卒業後、就職してから、しばらくして活動休止になってしまったと伝え聞き、非常に残念に思いました。私はこの芦原空手同好会のおかげで数多くの方々と知り合うことができましたし、自分の中の「自信」の根っこは芦原空手を学んだ経験であることもまちがいありません。
 このコーナーでは、サイト管理人の紹介もかねて、某大学芦原空手同好会時代のフォトアルバムの一部を公開させていただきます。

       
1989年     1990年     1991年     1992年


■1989年
 1回生の時の夏合宿での写真。場所は天橋立。

 右は同期入部の4名。左から2番目が管理人です。空手着がまだ他流派のままです。後に2名加わって同期は6名でした。一番左は、当時奈良支部でも稽古に参加させていただいていたK君。


 下の写真は集合写真。


 初めての昇級審査で黄帯をいただく。当時の審査会場は大阪球場の近くにあった関西本部で行われていました。受審者は、自分の順番が来るまで空手着を着たままの姿で、いつも路上にあふれかえっていたのを覚えています。
 同好会の稽古は、基本やコンビネーションも行いましたが、組み手やミット、サンドバックが特に多かったです。たまにスパーセーフをつけて顔面パンチありのスパーリングを行う時もありました。
 指導しているのは、この年度のリーダーのT先輩。


 当時、大学の秋の学園祭では、毎年キャンパス内で柔道部や合気道部、ボクシング部などの格闘技系のクラブが主に参加する「日本拳法大会」が、毎年恒例行事として開催されていました。その名のとおり日本拳法のルールでおこなわれる、異種格闘技大会の趣がありました。日本拳法とは防具、グローブを着用しての打撃あり、投げあり、寝技ありの総合格闘技です。黄帯の私は同期のK君と2回生の先輩とチームを組んで参戦。1回戦不戦勝、2回戦、3回戦と勝ち進み準決勝で柔道部と対戦し惜しくも敗退…この年は4位でした。


 卒業される4回生の送別会。中央の2名が4回生の先輩です。
 中央右側に座る太めのA田先輩は、奈良支部所属で、マニアックな芦原会館ネタをよく披露してくれました。

 中央左側に座っているのが、前年度のリーダーだったA木先輩。いつも場を盛り上げるとってもひょうきんな方でした。


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